研究室の幸せと個人の幸せ

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会社の幸せと個人の幸せ を読んで、研究室の幸せと個人の幸せについて考えていることをまとめます。

僕たち人間には、それぞれ人格があり、誰一人として同じ人はいないから、他人と幸せの形が完全一致するなんてことはありえない。当たり前だよね。

一方で、会社組織というのは人間と一緒で人格を持っていると思う。それぞれの会社によって、それぞれの幸せの形をもっている。夢も、ビジョンも、プランも、性格も違う。

研究室も会社と同じで、規模でいうとベンチャー企業に近いでしょう。研究室の人格は、その研究室の主催者 (データ化学工学研究室では金子) の考え方によってほとんど決まります。

学生たちは、研究室、つまり主催者の夢・ビジョン・プラン・性格を考えて、研究室を選ぶわけです。

別人格である以上、自分の幸せと会社の幸せが死ぬまで100%一致し続けるなんてありえない(個人の起業を除く)のだが、このズレに気づかないと、人生大変な事になってしまう。

会社の幸せと自分の幸せを混同した瞬間、人生を会社にまるごとプレゼントしているようなものである。なんという気前の良さ!

会社ですと、長いと数十年の間 同じ会社にいる人もいますが、研究室では卒業や修了などのタイミングで研究室を出ることができます。だいたい 1~3年くらいしかいませんので、会社と比べて”ズレ”は小さくてすむと思いますが、それでも20代の1~3年は大事な時期ですので、”人生大変な事になってしまう” ことも起こりうるわけです。

コンサルタント時代には、「コンサルタントは、こうあるべきだ」「いいコンサルタントは、こうだ」「コンサルタントなんだから、こうバリューを出せ」と言われた。当たり前だけど。黙って言うとおりにがんばる素直な皆さんは、評価もいいし、給料もあがるし、昇進もする。が、僕は「いいコンサルタント」になるために生まれてきたのではない。

一般的な研究室では、教員の考える “科学者は、こうあるべき” を学生たちに指導します。もちろん金子研でも、わたしの考える目指すべき科学者像を学生たちに教えています。ただ、

  1. すべての学生が死ぬまで科学者でいるわけではない
  2. 目指すべき科学者像は変わりうる

のです。特に 2. について、最近のテクノロジーの進化を背景に、近いうちに科学者の大転換点がくるのではないか、と考えています。

そのため学生たちは、

僕たちは会社から自立して、自分の幸せの為のキャリアをマネジメントしていかなければならない。

こういったことを考えておくのがよいと思います。そして研究室でできることは、

道には幅があり、必ずしも細い一本線ではないので、方向性が似ていれば、重なった幅の中で幸せに向かって一緒に歩むことができる。会社としても、例えばGoogleのように、この幅を広くとることで重なっている期間を引き伸ばすことはできる。

ということだろうと考えます。大学の研究者にならなかったり、企業の研究職につかなかったりしても、科学者としての技術・知見は役に立つものもあります。金子研の例でいうと、Pythonの技術・データ解析の知見などがそうです。研究室として、こういったことを増やし、道の幅を広くすることで、研究室の幸せと学生の幸せとが重なり合う部分を大きくしようと考えています。

最後に、誤解を恐れずにいえば、学生は “研究室のために” 学術論文を書かなくてもよいと考えています。いやいや、論文を書くことは将来的に学生のためにもなるんだよ、という意見の研究室主催者がほとんどと思います。わたしもそう思います。論文を書く過程でいろいろなものが身につきますし、将来的に学生がどんな職業につこうとも、自分が筆頭著者の論文があると大学での研究成果の実感になります。

ただ、学生の幸せを考えたときに、”学術論文を書くこと”が必ずしも学生の幸せとの共通部分ではないと思います。そのため、金子研の今のところのスタンスは、論文を書くことのメリットとデメリットを学生に説明して、学生が決める、としています。

もちろん研究成果をアウトプットすることはとても大事です。なので、”学術論文を書く”以外の、より学生の幸せとの共通部分の大きいアウトプットの方法についても模索しています。

以上です。

質問・コメントがありましたら、twitter・facebook・メールなどを通して教えていただけるとうれしいです。

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