大学では主に学部 1 年生から 3 年生の間で講義科目があったり実験科目があったりして、4 年生から研究室に配属になると思います。ここでお話する教育とは、講義科目や実験科目ではなく、特に研究室における (データ化学工学研究室 (金子研) での) 教育です。
研究室内の教育において、平等的なところと公正的なところを切り分ける必要があると考えています。なお、平等と公正についてはこちらにも記事を書いています。
この記事をまとめると、講義や講演などお話で届けるときは平等、つまり話を聴く人の時間は誰でも一定なのに対し、論文や本など文章で届けるときは公正、つまり文章を読む人の背景・能力によって読む時間も得られる情報量も変わる、ということです。金子研では、研究室内において週に 1 回ゼミを行い、その中で各学生が研究の進捗状況や新人研修の進捗状況を発表して、それに基づいて議論しています。
新人研修についてはこちらに書いたとおりです。
このような進捗状況を確認したり、それに対してアドバイスしたり議論したりすることは、学生ごとに平等です。もちろん研究の進捗によって、毎週の発表時間や議論の時間は学生ごとに多少変わりますが、1年トータルでみると、学生ごとにだいたい同じぐらいの時間になると考えられます。学生一人あたりの時間は平等に与えられるわけです。教育の平等的なところです。
一方で、わたしに質問したり個別に相談したり、論文執筆をしたり執筆を進めるときにわたしから指導をされたり、学会発表をしたりその準備のときにわたしから指導をされたりするとかは、すべての学生に平等に与えられるわけではありません (もちろん卒論や修論に関する発表会に関しては平等です)。これらについいては、その学生のやる気やさまざまな能力、研究の進捗によって変わります。学生の機会 (チャンス) は公正です。教育の公正的なところです。
基本的に学生それぞれ学費は同じということからも、もちろん学生ごとに平等に教育することは重要です。一方で、学費分をどのようにして自分の成長といった価値につなげるかは、学生次第なところもあります。このあたりの教育の公正的な部分も重要であると考えています。
以上です。
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