脱呪術化
魔術からの解放
マックス・ヴェーバー 「職業としての学問」 より
十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない
アーサー・C・クラーク 「クラークの三法則」 より
人は、人にもともとある力を外部化し、外部装置を作ることで、生活を豊かにしてきました。たとえば、「モノを見る」という力を外部化してメガネ・コンタクトレンズにしたり、「歩く」という力を外部化して杖・車いすにしたり、「記憶する」という力を外部化してノート・インターネット・スマホにしたり、です。外部装置は人の進化の歴史ともいえます。
2018年1月5日の金曜ロードショーで、映画「魔女の宅急便」をやっていまして、昔から好きな映画なので 3 歳の娘と一緒に見ました (娘もおよそ 90 分 見続けられました、さすがジブリ作品)。「魔女の宅急便」におけるテーマの一つは魔法です。キキは空を飛べたり、黒猫のジジと話すことができたり、コキリ (キキの母親) は薬を作ることができます。
実は、「魔女の宅急便」も、魔法をはじめとする人の内なる力 を外部化する、という観点から紐解くことができるのです。
ここでは、
- なぜ、キキは空が飛べなくなったり、再び飛べるようになったりするのか
- なぜ、キキはジジと話せなくなるのか
に着目して、人の内なる力の外部化について考察します。
なぜ、キキは空が飛べなくなったり、再び飛べるようになったりするのか
これは、空を飛ぶ魔法という内なる力と、科学技術によりその力が外部化された人力飛行機・飛行船との対比で考察できる。
最初のヒントはキキが村を出て空を飛んでいるところにある。空を飛ぶ背景に、化学工場 (プラント) があり煙をモクモクさせている。ここで、キキの空を飛ぶという魔法と科学技術とが対比されることが分かるわけだ。
キキは、トンボ (とその友人たち) が開発した人力飛行機の後ろに乗せてもらい、トンボと二人で、少しではあるが空を飛ぶことに成功した後に、空を飛べなくなってしまう。このとき、空を飛ぶという力が外部化されたことを、キキが肌で感じたわけだ。さらにそのあと (追い打ちをかけるように)、不時着した飛行船がテストフライトに成功している。キキの空飛ぶ魔法は、飛びはじめに失敗することがあったり、驚くとコントロールできなくなってしまったり、強風にあおられてしまったり、重い荷物を運ぶのに苦労したりと、不安定なものだ。これを外部化した飛行船は、安定して飛行できる。
空を飛ぶ魔法の上位置換としての飛行船が出てきて、キキが空を飛ぶ必要がなくなり、飛べなくなったと考えられる。
しかしそのあと、飛行船が故障してコントロールを失い墜落することになったとき、再びキキは空を飛べるようになる。飛行船が空を飛ぶ魔法の上位置換ではなくなり、キキの内なる力である空を飛ぶことが必要になり、再び空を飛べるようになったのだ。
このように、キキが内なる力である空を飛ぶ魔法を使えなくなったのは、人力飛行機・飛行船が安定して飛べるようになり、その魔法が外部化されたからであり、再び使えるようになったのは、飛行船が不安定になり、まだ内なる力である空を飛ぶ魔法が必要であったためと考えられる。
なぜ、キキはジジと話せなくなるのか
キキは、最初は魔法の力でジジと話ができるが、途中からその魔法が使えなくなってしまう。この理由についても、身近な動物と話をする魔法という内なる力と、それが外部化された新しい友人との対比で考察できる。
キキは新しい街にきてから、なかなか新しい友達ができなかった。街にいる同じくらいの年の女の子に話しかけるのを躊躇したり、トンボから話しかけられても邪険に扱ったり。そんなとき、話し相手になってくれたのはジジだった。キキとジジはいつも一緒。二人は親友だった。もちろん、以前に住んでいた村にも幼馴染的な友達はいたが、物心ついてから新たに友人をつくることはできなかったわけだ。
しかし、トンボの人力飛行機をきっかけに、キキとトンボは急接近する。キキはトンボという、一緒に飛ぶことについて語り合えたり、一緒に大笑いできたりする友人ができたのだ。
その後、キキはジジと話ができなくなってしまう。
つまり、(近くに)友人がいない中でもジジと話ができる魔法というキキの内なる力が、トンボという新しい友人ができることで外部化され、その役目を終えたと考えられる。
(他の理由として、風邪で魔力が弱まったから話せなくなった、とも考えられる。しかし、風邪から回復したあと、キキがトンボと会うまでにジジと話す場面がある。)
(また、ジジの声はキキの内なる声、とも考えられる。しかしキキは、ジジが雁・からす・犬のジェフ・白猫のリリーと話した内容をジジから聞いて、情報を得ている場面がある。また序盤で、キキがジジに話しかけてラジオを付けてもらう場面もある。)
映画の中では描かれていないが、キキが再びジジと話せるようになるのはどのようなときか、考えてみるのも面白いかもしれない。
人の内なる力と、その外部化
以上のように、
- 空を飛ぶ魔法 ⇔ 人力飛行機・飛行船
- ジジと話す魔法 ⇔ 友人
という、キキの魔法という内なる力と、それを外部化したものとの対比で、キキは空が飛べなくなったり、再び飛べるようになったりする理由、およびキキはジジと話せなくなる理由を説明できる。
実は物語の中では、この2つ以外にも、人の内なる力とそれを外部化したものとの対比がある。以下の表をご覧いただきたい。
1, 2 についてはすでに説明した。
3 について、冒頭およびラストに、コキリ (キキの母親) が魔法で薬をつくるシーンがある。しかし、キキの空を飛ぶ魔法と同じように、失敗も多く安定していない。キキを怒ったり、キキから手紙が来て喜んだりといった、感情の起伏によって薬をつくる魔法は失敗してしまう。映画内では登場しないが、この薬をつくる魔法を外部化したものが医薬品だろう。一定の品質の医薬品を安定的につくれるように、医薬品の製造工程は適切に管理されているのだ。
では、なぜコキリはまだ魔法で薬を作れるのだろうか。医薬品と外部化されているなら、(キキがジジと話せなくなったのと同じように) その役目を終え、薬を作れなくなってもよいはずだ。まだ魔法で薬を作っている理由については、冒頭のシーンをみるとわかる。いつも魔法で薬を作ってもらっているおばあさんのコメントに、
わたしのリウマチにはあなたの薬が一番きくわ
とあるのだ。
4 について、キキの家では、薪のオーブンを使い、人が火加減や調理時間を管理して料理するのが普通だった。しかし、宅急便のお客さんの一人であるおばあさんの家では、たとえば ニシンとかぼちゃの包焼き を作るのに、電子レンジを使っている。電子レンジでは、薪のオーブンで料理をする、という人の内なる力を外部化した装置、といえるだろう。
では、なぜ薪のオーブンが劇中で登場するのか。それは、おばあさんの家の電子レンジが故障してしまったためニシンとかぼちゃの包焼きを作れず、薪のオーブンを使う必要があったためだ。
5 について、4でも述べたおばあさんは、足が弱いため立つのに杖が必要だし、調子が悪いときは移動するのに車いすが必要となる。杖・車いすは、立つ、歩くといった人の内なる力を外部化したものといえる。ただ、キキのような “立てる” 人がいないと、家の電球を交換できないように、立つ・歩くといった内なる力が必要であることも示されている。
6 については、少しこじつけかもしれないが、ジジそっくりの黒猫のぬいぐるみが、動物をペットにすることを外部化したものといえないだろうか。ぬいぐるみをなくしてしまい、実際の黒猫であるジジが必要となるシーンが描かれている。
以上のように「魔女の宅急便」は、魔法をはじめとする人の内なる力を 外部化する、という観点から紐解くことができるのだ。
おわりに
念のため補足すると、「魔女の宅急便」では、人のすべての内なる力を外部化した方がよい、とはいっていない。実際、キキはまた空を飛べるようになったし、ニシンとかぼちゃの包焼きを薪のオーブンで作ったし、コキリ (キキの母親) に魔法で薬を作ってもらっているおばあさんのコメントに、
わたしのリウマチにはあなたの薬が一番きくわ
とある。
人の内なる力と、それを外部化したものとが、相補的に存在している世界が、「魔女の宅急便」で描かれているといえるだろう。
以上です。
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