大前提
まず大前提として、これからも少なくとも10年は論文を書いて論文誌に掲載されることが、研究者として評価されたり、博士号取得の要件だったりすると思いますので、金子研の学生には研究成果を論文としてまとめるよう指導します。
研究するために必要なもの
そもそも、研究を始めたり研究を拡大させたりするには、
- 研究する人
- 研究するための資金
が必要です。人に関しては、他の研究者を雇ったり、大学だったら学生と協力したりします。お金に関しては、科研費・さきがけ・CREST・NEDOなどの形で研究費を国に申請したり、民間の財団の助成金に申請したりして獲得します。民間企業との共同研究という形で研究費をいただいたりもします。
研究者およびその研究の評価・判断をするモノ
人もお金も有限ですので、優秀な研究者を雇いたいですし、研究成果を出してくれそうな研究者に研究費を配分したいわけです。
研究者として優秀かどうかを判断したり、たとえば国の研究費を どの研究者にどれくらい配分するかを決めたりするときの判断材料の一つに、学術論文が用いられます。学会発表・特許・受賞なども判断材料になりますが、やはりメインは論文です。
- 論文誌に掲載されている論文の数が多いほど
- 論文が掲載されている論文誌が有名なほど
- 論文が他の論文から引用されている数が多いほど
研究者として優秀とみなされるわけです。もちろん、論文の中身を見なければ、実際の研究内容のことはわかりません。ただ判断する人も、すべての研究者のすべての論文を細かく読むことができるわけではありません。また、素晴らしい研究を活発に行っているからこそ、上の 1. 2. 3. を満たすのだろう、ということで、それらが研究者を評価する一つの材料になるわけです。
論文の価値
では、どうして論文や論文誌に、研究者を評価する材料としての価値があるのでしょうか。それは、
- 論文誌には過去の論文の積み重ねがある
- 論文誌に論文が掲載されるまでに査読プロセスがある
ということが要因と考えています。査読プロセスというのは、論文を論文誌に掲載してよいかどうかを他の研究者に確認してもらうプロセスです。論文誌に論文が投稿されると、論文誌の編集者がその論文をチェックする研究者 (査読者) を何人か選び、その査読者の人たちに論文の確認をしてもらいます。査読者は、論文誌に掲載するには研究成果が足りない、と判断したり、論文のここを修正すれば掲載してもOK、といったようなコメントをしたりします。論文を投稿した人は、そのコメントに基づいて論文を修正します。この査読と修正とを繰り返して、査読者が OK となったら、無事論文が論文誌に掲載されるわけです。このように、専門家のチェックを経て論文誌に掲載されたので、その論文の価値は高いだろうというわけです。
ちなみに、わたしも論文誌に論文を投稿するときは査読者の方に論文をチェックしていただきますが、逆にわたしも他の研究者の論文を査読します。
また、過去の論文の積み重ねがあることについて、これまで数十年・数百年にわたって、色々な研究者が研究成果を出し、論文誌に論文を投稿してきました。素晴らしい研究成果の論文が掲載された論文誌はもちろん有名になります。Science や nature などです。そういった論文誌に掲載された論文もまた、素晴らしい研究成果だろう、というわけです。
論文の役割
もちろん、論文には研究者を評価するためでなく、研究成果を広く公表させるためや研究者間のコミュニケーションを生むため、といった意味合いもあります。まとめると、論文の役割は
- 研究者の評価材料の一つとなる
- 研究成果を公表する媒体となる
- 研究者間のコミュニケーションの場となる
となります。
研究者と論文、研究サイクル
研究者が評価されるためには、論文が投稿されていることが必要ですので、研究者は研究成果をあげることと論文を書くことがセットなのです。ざっくりいうと、研究者の研究サイクルは下の図の流れになります。
今後の予想
研究者が論文によって評価され、研究資金を調達したり人材として雇われたりする仕組みが変わるだろう、そして、論文誌というシステムが終焉を迎えるだろう、というのが私の将来の見通しです。
その理由を一言でいうと、先に述べた論文の役割
- 研究者の評価材料の一つとなる
- 研究成果を公表する媒体となる
- 研究者間のコミュニケーションの場となる
が、もっと効率的なものに置き換わるから、です。
1つ目について、そもそもなぜ評価が必要になるかというと、研究を始めたり研究を拡大させたりするための研究費と人を獲得するためです。では今のシステムにおいて、論文を書くことは、直接的に誰のメリットになるでしょうか?より具体的な質問に変えると、誰のもとにお金が落ちるのでしょうか?
答えは論文誌です。論文誌を発行している企業・人です。
研究者が論文を投稿したり、論文を読んだりするには、論文誌にお金を支払わなくてはいけません (中には無料の論文誌もあります)。論文を投稿するのに数十万かかることもあります。また、大学の中にいると、論文を読むのにお金がかかるイメージがわかないと思いますが、実際は大学が論文誌を購入しているため、大学内のシステムで自由に論文が読めるわけです。何億・何十億ものお金がかかることもあります。実際多くの大学で、四苦八苦しながら論文誌を購入しています。
このシステムはいずれ終焉を迎えるでしょう。研究成果をあげた研究者は、論文を書き論文誌に掲載され評価を受けることで、間接的にメリットを受けていますが、直接的なメリットは論文誌にあるわけです。研究者が直接的なメリットを受ける形で研究成果を活用できれば、そちらのシステムの方がよいのです。
たとえば、近畿大学ではクラウドファンディングによる資金調達をしていますし、Readyfor College という大学向けクラウドファンディングもあります。また、クマムシ博士で知られる堀川大樹さんは、自身で管理するメールマガジンで研究資金を調達しています。
論文の役割の2つ目や3つ目である、研究成果を公表する媒体・研究者間のコミュニケーションの場についても、昨今の WEBサービス・SNS の発達により、研究者個人もしくは研究者グループで、より効率的にその役割を担えるだろうと考えています。論文誌の過去の論文の積み重ねには敵わないかもしれませんが、査読システムについてでしたら、標準的な研究者なら日常的に論文を読んでいますので、食べログやAmazon (のカスタマーレビュー) のようなプラットフォームがあれば、論文誌でなくても ”論文” は機能すると思います。
これからの研究者に求められること
論文誌というシステムが終焉を迎えるという予想の中で、これからの研究者に求められることは、研究成果によって人や社会からの信用を作ることです。研究成果をだし、それを論文誌に投稿する論文としてではなく、別の適切な形で公表することで、信用を貯めていくことが求められると思います。
そのために、研究者個人もしくは研究者グループで、研究成果の公表や研究者同士・研究成果の恩恵を享受する方々とのコミュニケーションの場のための、プラットフォームを作るのがよいと考えています。そこで信用を貯めていき、必要なときに、たとえばクラウドファンディングなどで資金を調達するイメージです。
おわりに
最初に述べたように、論文を書いて論文誌に投稿されることで研究成果として認められたり研究者として認められたらする流れはすぐに変わるわけではないと思います。ただ、研究成果を公表するとき、これまでと同じ流れで論文や学会発表などにだけ、すべてをベッドするようなものは危険と考えているわけです。研究者として、もしくは研究者グループとして、信用を作り貯めていくことが重要と考えています。
以上です。
質問やコメントなどありましたら、twitter, facebook, メールなどでご連絡いただけるとうれしいです。